司馬遼太郎が住んでいた佐野に行った
司馬遼太郎ゆかりの地
私は学生時代に司馬遼太郎にゆかりがある学校に通っていたこともあり、司馬遼太郎が住んでいた土地のひとつである佐野市を訪れ、文学碑を見てきた。

司馬遼太郎の文学碑
司馬遼太郎は陸軍時代に佐野に滞在し、後に「当時のことはあまり思い出したくなかった」と述べている。
あの夏の日の司馬遼太郎: 昭和の巨星の若き日の姿を追う でその言葉が紹介されている。
司馬遼太郎にとって、いつ戦地に赴くかわからない時間を過ごしたのは生きた心地がしなかったと思う。
佐野は、生と死を見つめざるを得なかった土地だったのではないか。
その背景を知ってやっと意味が現れる言葉であり、知らなければ「佐野をそんなに嫌わなくてもいいのに」と思うところだ。
左派的な論調の媒体に利用される言葉
司馬遼太郎の言葉は「司馬は『なぜ、こんなばかな国に生まれたんだろう』と考えていたという。」(春秋2014年12月9日 3:30)というように日本経済新聞のような左派的な論調の媒体に利用されることが多い。
司馬遼太郎ほどの教養人が、左派に利用されることを想定せずに
「こんな馬鹿な国に生まれたんだろう」
と言ったとは思えない。どこまで一人歩きするかはわからなかっただろうが、2014年に至った上記記事まで、実に亡くなって18年経っても引用されている。
戦前の日本軍での苦い経験を素直に吐露したのではなく、左派がいつまでも引用する効果を狙い、自分の代理勢力として「青春を奪った組織」を攻撃させ、カタルシスを感じたかったのだろうと思った。
少し強い表現をしたが、理由がある。
小説家であり創作者としての司馬遼太郎
司馬遼太郎は元陸軍大尉の近藤新治氏という方と対談していた。近藤氏は陸軍の内部事情を知っていて、司馬遼太郎が所属した部隊に知人がいる方だ。「やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人」(ケント・ギルバートPHP研究所 2016年)によれば、
対談の中で司馬遼太郎は「近藤先生は学者ですなあ」と言っている。詳しくは参考にさせていただいた「司馬遼太郎への疑問」を読んで欲しい。
司馬遼太郎のアイデンティティーは小説家だった。創作者であり歴史家ではない。青春を奪った組織を叩かせるためなら、創作をしてでも左派を利用したと考える余地がある。
「人差し指のブログ」さん「司馬遼太郎への疑問」(2017-04-09 05:11:36)を参考にしました。ありがとうございます。
乗り越えられない記憶
私は20年程前に病気をしてフリーターをした。
文字で「病気をしてフリーターをした」と書いても他人に共感は得られない。さらに、その言葉を発しても、「今、元気に生きているのだから過去にこだわるな」と逆に傷つけられそうで怖い。私の心には共感されることがない深い傷が残っている。
司馬遼太郎は、自身の痛みを直接語ることを避ける一方で、言葉が政治的に流通する力を熟知していた作家でもあった。自分の痛みを直接語れないとき、人は別の言葉に置き換えることがある。
佐野で過ごした22歳の司馬遼太郎は、沢山やりたいことがあったのに、戦争でそれどころではなかったのが悔しかったのだろうと思った。





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