小津安二郎の映画「東京物語」(1953)に見る深い愛と喪失 - 現代にも通じる普遍性なテーマ –

尾道水道 桟橋と渡し船 映画レビュー
尾道水道 桟橋と渡し船

東京物語(1953) wikipedia

戦死した次男の妻「紀子」と主人公の妻「とみ」 ー嫁姑の交流ー 【東京物語】

 紀子(原節子)のアパートに主人公の平山周吉(笠智衆)と妻の平山とみ(東山千栄子)が訪れる有名なシーンがある。

 このシーンは、平山夫妻が血の繋がった息子や娘に冷たくあしらわれる中、戦死した次男の妻「紀子」(原節子)が心温かく狭いアパートに平山夫妻を迎えるというもの。その描写がとても美しく、観客の胸を打つものがある。


【40分~】平山と、とみは紀子のアパートで戦死した次男・昌二の遺影を眺めている。すると紀子が戻り、平山夫妻を見る。平山夫妻は次男・昌二の遺影を見ながら、生前の元気だった頃の昌二の癖など、昌二が親に見せていた一面を懐かしそうに語り合う。とみは昌二と離れて暮らしている時間が長かったため、「まだ昌二が生きているような気がする」といった内容を紀子に語る。


 東京物語の作中で平山夫妻が戦死した息子・昌二のことを思い出す際に、彼らは決して声を上げて泣いたりはしない。深い哀しみは役者が慟哭することで表現されるのでは無く、喪失を受け入れられない心情を描写して表現されているのだと思った。

 平山家の嫁である紀子は作中の「救い」であり、血が繋がっているのにもかかわらず平山周吉やとみに冷たい子供たちと対照をなしている。

末っ子「京子」(香川京子)の存在と尾道 【東京物語】

尾道水道の景色

 物語は冒頭に尾道の風景が映る。大きな灯籠越しに尾道水道と渡し船の映像、それにポンポンと鳴る船のエンジン音が重なっている。その後も寺や鉄道、街の風景が映し出されていく。説明的だがとても美しい映像である。


(京子が登場する場面)
【4分~】平山と、とみが旅の支度をしていると末っ子で次女の「京子」(香川京子)がやってきて2人に弁当を渡す。他の兄姉とは対照的に心優しい娘である。
 その後、会話と映像から京子は小学校の教師とわかる。京子の性格と職業が合っていて、すっと映画の世界に入り込める。
【107分~】再び尾道の灯籠が映り、舞台が尾道に戻る。
 平山家では母・とみの亡骸を前に子供たちと紀子が話をしている場面が始まる。
【122分~】紀子と京子が座敷で向かいあって話すシーンがある。
 京子は紀子に「他の兄姉は母が亡くなっているのに冷たい」とぼやく。それに対して紀子は他の兄姉をかばう。
 心優しい2人だからこそ成り立つ会話であると言える。


 【122分~】の紀子と京子のシーンは3分ほど。このシーンの台詞は作中のテーマ、作者の思いが凝縮している。それまでの映像はこのシーンのためにあったと言っても過言では無いだろう。

胎動する高度成長社会と、それに付随する核家族化の予見 【東京物語】

 作品には現代の社会でも普遍的に通じる描写が散見される。街にありふれた居酒屋や、その中で飛び交うサラリーマン社会を象徴する話題。作品のテーマにも関わるが、血が繋がった子供たちが親に冷たいところなども現代の「核家族化」を予見していると言える。

 映画「東京物語」が公開されたのは1953年。「もはや戦後では無い」という言葉が登場するのが1956年であるから、時代的にも符号している。戦後が終わりかけ、新たな社会の「芽吹き」を感じられる。そんな映画であると思った。

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