司馬遼太郎記念館

庭に咲く菜の花 いま思うこと

東大阪の司馬遼太郎記念館に行ってきた

最寄り駅の八戸ノ里から550メートル

 司馬遼太郎記念館の最寄り駅は八戸ノ里(やえのさと)で旧布施市になる。東大阪市はwikiにあるとおり、1967年に旧布施市と旧河内市と旧枚岡市が合併してできた市だ。2026年現在で59年、来年には60年を迎える。

 旧河内市域に在住の友人に「旧布施市は比較的所得が高い人が住んでいる」と聞いた。そのとおり、住宅街は静かで落ち着いた雰囲気だった。

八戸ノ里から司馬遼太郎記念館の行き方

八戸ノ里駅

落ち着いたたたずまいの庭、それを臨む書斎

 司馬遼太郎記念館の中にはご自宅と庭、そして記念館がある。

 そして、司馬遼太郎といえば菜の花だ。3月下旬の今頃は菜の花の季節で、庭には菜の花がたくさん咲いていた。樹木も豊富で、庭というより手入れが行き届いた林だった。司馬遼太郎の自然観がうかがえる貴重な場所だった。

司馬遼太郎記念館の庭

高いガラス張りの明るい廊下

 資料館の入口から受付まではガラス張りの廊下が20メートルほど続いた。南東向きに円弧を描いている廊下は天井が高くてとても明るく、歩いているだけで気分も明るくなるようだった。

司馬遼太郎記念館の廊下

佐野のスズカケ(鈴懸)

 1945年5月、22歳の司馬遼太郎は満州から戻り、佐野の国民学校(現・植野小学校)にいた。再び戦地におもむき、戦死してしまう可能性がある中で、司馬遼太郎は佐野でスズカケ(鈴懸)の木に癒やされていたという。

 記念館には佐野のスズカケからタネと挿し木を分けてもらい、育てているという。

 2週間前の3月8日に佐野の司馬遼太郎文学碑に訪れたばかりだったので、今月は2回ゆかりの地に行くことができた。

 記事はこちら : 司馬遼太郎と佐野

「二十一世紀に生きる君たちへ」の気になる一節

 私は高校生の頃、「二十一世紀に生きる君たちへ」を読んだ(と思う)。

 60代の司馬遼太郎が若者向けに書いた作品だ。真面目な若者には刺さる素晴らしい名文だと思った。記念館の壁にも全文が読めるように掲示されていた。もうすぐ50歳になる私でも涙がでてきたくらいだ。

 しかし、この一節がひっかかり、涙が止まった。

 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

 君たちさえ、そういう自己をつくって行けば、二十一世紀は人類が仲よしでくらせる時代になるのにちがいない。

(司馬遼太郎『二十一世紀に生きる君たちへ』より)

 楽観的な人間観が表出しているのかと思ったが、司馬遼太郎ほどの教養人に限ってそれはない。

 「二十一世紀に生きる君たちへ」は、あえてひらがなを多用した、若者向けと言うよりは子供向けの文章だ。子供に「みんな仲よしになれる未来」を想像させる効果を狙ったのだと解釈し、納得することにした。

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